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消失解釈02:「キョンの理想」説 ~あなたが望むわたし~

消失解釈二回目。
今回は「消失世界は長門からみたキョンの理想の世界」という説の考察をしていこうと思います。

あちこち探してもこの考えを持っている人は見当たらなかったし、あまりこんなこと考える人いないのかな、と思って後回しにする予定でした。ところが、今月号のニュータイプに掲載されていたライターさんによる消失の感想・解釈を読んで、近い考えを持つ人がいるということが判明。しかもその方は、私などよりよっぽど本質を見抜いていました。まさに悲喜こもごも。

というわけで、若干手抜きっぽくなってしまいますが、そのライターさんのレビューを要約という形でお借りすることで、この説の考察と変えたいと思います。

以下、ニュータイプ3月号のネタバレになりますので注意!
ライターのさやわか氏のレビューの要約です(さわやかの誤植じゃないですよ!)
*カッコ内はながといっくの感想です。


>>>>>以下要約<<<<<
映画において、長門は非常に可愛らしく、それでいて切なく描かれていた。しかし、長門は何の意味も無く萌えキャラ化されたわけではない。
一見、消失世界は今までの非日常の世界とは何もかも違っているかのように見える。しかし、消失世界の住人は特別な能力を失っているだけで、キャラクターが変わったわけではない。
さて、元の世界のSOS団も野球大会に出たり映画を撮ったり、表向きの活動は普通の高校生と何も変わらない。だったら、消失世界においても皆が集まれば同じようなことが出来るはず。つまり、消失世界はキョンにとって悪い世界ではない。
(そう、1人を除いてSOS団はそのままの形で再結成が可能なのです。5人が集合した時のハルヒと朝比奈さんのやり取りなどはそれを如実に表していると言えますね)

しかし、唯一能力だけでなくキャラクターまで変わってしまった人物がいる。言うまでも無く長門だ。その理由は、長門がハルヒシリーズにおいて「非日常」そのものを意味するキャラであるからに他ならない。
元が人間で、特に妙な性格を持っているわけでもない古泉やみくるは言うまでも無く、あのハルヒですらキョンのネタばらしを信じないほどの常識人である。
対して長門はどうだろうか。万能とも言えるその能力はもちろん、度を超えた無表情・無感情というキャラクターも、そのすべてが「非日常」であると言える。
したがって、世界が「日常」に変わるとき、長門は「非日常」要素の全て、宇宙人としての能力もキャラクターをも「消失」する。
(長門だけが変わってしまったというのはわかりやすい点ではありますが、その理由として長門の非日常性を挙げた解釈って初めて見た気がします。長門が改変者だから…で終わってしまうのは思考停止状態と言えるのかもしれないですね。反省です)

そして、長門はキョンが「非日常」に戻ろうとするのを袖を引いて引きとめる。
キョンはハルヒが引き起こす騒動に巻き込まれることに、絶えず文句を言っていた。それは長門にとって見れば自分の非日常性、つまり殆ど全てを否定されるに等しい。
あなたが世界の非日常性を嫌っていたのだとしたら、非日常的な存在である私のことも嫌いだったのだろうか。ならばあなたは、私が平凡な女の子になったこの世界にいたいのではないか、と訴えるのだ。
(衝撃的でした。長門が感じていた「キョンによる自らの否定」。自分はそこまでは辿りつけなかった。消失世界が長門から見たキョンの理想の世界であるということも、そして消失のテーマはキョンによる"ありのままの長門"の肯定であることも、このライターさんと同じ目線で見ていたのに。この人は私が気付かなかったことを見抜いていた。悔しいなぁ)

キョンが最後の決断を下す時、「栞」と「入部届け」という、共に長門に渡された品物が現れるのはそのためだ。
このシーンは「どちらの世界を選ぶのか」という選択が「どちらの長門を選ぶのか」という選択に他ならないことを示している。
(選択のシーンで印象に残ったのは改札のシーンだったので、どうしてもハルヒと長門の対比という観点で見てしまいがちですが、通常長門と消失長門という観点でも見れますよね。観点自体は真新しいものではないですが、その根拠となるシーンを提示しているところが素晴らしいと思いました)

結果的にキョンは「非日常」の世界に戻る。それは「仲間のありのままを受け入れよう」という選択であり、「SOS団の誰か一人でも同じ世界にいられないなら、そんな世界などいらない」という意思の表れなのだ。
(「元の長門の肯定」ですね。屋上シーンもそのようなキョンの決意の一環なのでしょう)
>>>>>以上要約<<<<<

「消失世界は長門からみたキョンの理想の世界」とする説。その根拠がおわかりいただけたでしょうか。

この考えは前の記事で考察した「消失世界は長門の望んだ世界」という説との共通点を持ちます。
それは、長門さんが自らを否定しているということに他なりません。
あちらの説の原因が能動的(自己完結した思いこみ)であり、こちらの説の原因が受動的(キョンの態度)であるという点は違っても、世界改変が長門有希による自分自身の否定であることは変わりません。

前の説との違いは、主に二つ。
第一が長門さんが消失世界を作った理由ですね。
前回は「理想の自分とハルヒのどちらかを選んでほしかったから」と結論付けました。
今回は「非日常性を失った世界(=消失長門)こそが、キョンの望む世界だと感じたから」と言えます。

第二が、キョンの選択についてです。
前回は「長門さんの提示した選択肢には気づかず、キョンの中で世界選択にすり替わってしまった」という結論に達したので、長門さんの空回りや二人のすれ違いといった目立ちました。
今回は「元の世界の、ありのままの長門有希を選んだ」という結論になります。キョンが長門さんが提示した問いにしっかり答えられているという点で、消失という物語が少し明るくなりますね。
(前回の説の考え方でも、キョンは元の長門さんの肯定という行動に出ているので、過程は違えど最終的な結果は同じと言えます)

もし、(自分を含む)非日常をキョンが嫌っていると感じた長門さんが、ただキョンの理想の世界を提示したかっただけだったのだとしたら。そうだとすれば、主題歌「優しい忘却」において、長門さんが「望むものはなに」「なにもいらない」と歌っていることの理由付けにもなると思います。
そして、彼女の本心の深いところ、彼女自身も気づいていないところで、元の自分を認めてほしいという希望があったのなら、消失は彼女にとって幸せと言える物語になるのでしょう。

<この説のまとめ>
・消失世界は通常長門さんにとってどんな世界なのか
 →長門さんから見た、キョンの理想の世界
・なぜ長門さんは消失世界を作ったのか
 →非日常性を失った世界(=消失長門)こそが、キョンの望む世界だと感じたから
・長門さんが提示した選択肢
 →日常の世界か、非日常の世界か(転じて、消失長門か通常長門か)
・キョンは何を選択したのか
 →非日常の世界(転じて、ありのままの長門有希)
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テーマ : ライトノベル
ジャンル : 小説・文学

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No title

この解釈は、本当に自分的に納得できたというか、これ以外ないというような解釈でしたよ!
(ばしばしひざを打っているw)
自分の中で一番のネックは、消失後なぜ長門さんは落ち着いた(かにみえる)長門さんに戻れたか、それに尽きるわけです。
一度爆発したから少し収まったとか、3年前のまだバグが少ない時点の自分に修正されたとか、そういうのは違うと思っていたし、キョンの台詞で少し落ち着いたというのはあるとは思うんですけど、「それだけでいいの?」という切ない気持ちですし。

しかしこの長門さんが「非日常」の存在でしかなく、キョンが非日常を否定していたという図式。
「サムデイインザレイン」を解説された別の方のブログで読んだ「あのお話は日常を描いていたもので、非日常そのものの存在である長門は、だからこそしゃべることがない」というのと、がっちりタッグを組んで、「それだー!」と思わせてくれました。

長門さんが「キョンが望んだ世界」を、非日常である自分は消えてでも作り、選択させた。
非日常を比べてもらうために、記憶を消さずにそのまま、そして選択する為の3日という猶予を作った。
でもキョンは、非日常を選んだ。長門さんの居場所を選んだ。

なんというか、消失のお話が否定の話であったと思い、好きになれなかった自分が情けないです。
(悲しい話には違いないと思うのですが)
これで二回目の映画が、また違った感覚で観ることが出来ると思います。
もちろん正解は提示されておらず、ただ「消失」という話は話以上のことを語りませんが、わたし的には今時点で最高の解釈でした。

しかし、これだけ解釈される余地がある「消失」の物語をこの世に生んだ、谷川先生は本当に凄い人ですね。
今更ながら心から思います。

No title

久しぶりに飲みすぎてしまいました…ので、文章がおかしいかもしれないです(いつもかな?w)

>ししゃも様
この解釈は自分でも納得しています。さやわか氏には感謝しないといけません。
「消失世界はキョンの理想の世界」とおぼろげに感じてはいたものの、その根拠はあいまいで、自分自身で納得もしていませんでした。なにより「なぜ長門がキョンの理想の世界を作ったのか」という点については、何も答えが出ていませんでした。
それについて「長門自身が非日常の象徴で、キョンが無意識に長門を否定していた」という答えが見つかったことが嬉しくてたまりません。

私は消失を否定の物語と見るのが嫌で、なんとか肯定の物語と見ることが出来ないかとずっと考えてきました。
ここまで感情移入してしまった長門さんが否定される存在だということを意地でも認めたくなかったという単純な理由で、です。
今ならば、私は自信を持って「消失は肯定の物語だ」と言えます。
さやわか氏を始め、あちらこちらで議論に付きあってくれた方々、もちろんししゃもさんにも、お礼を言いたいと思います。ありがとうございました。

>「サムデイインザレイン」を解説された別の方のブログ
その方のブログ(というか記事)は私も読みました。
今だから言えることですが、実は私はあの方の解釈を認めたくないと思っていました。
もちろん、恐らくその解釈が正しいであろうことは理解していましたが、それでも、日常において長門さんが不必要な存在だとは認めたくなかった。
そのわだかまりも、劇場版消失を見ることで溶けていきました。
消失は、日常においても長門さんが必要な存在であることにキョンが気付いた物語。そう考えれば、消失前の悲しいエピソードにも納得できますから。

余談になりますが。
消失公開前にししゃもさんのブログで書いたことと被ってしまいますが、私はやはり「優しい忘却」は元の世界長門さんの曲だと思います。日常の世界にも長門さんの居場所があることを、彼女自身が知らない。キョンに肯定されることによって気付かされるまでは。
この消失解釈も、この曲解釈も、消失長門さんが置き去りになっているような気がしないでもないですが、最近はむしろそれでもいいと思うようになりました。消失長門さんは紛れも無く長門さんで、長門さんの中で生きているはずなのですから。

本当に、ハルヒシリーズを書いてくれた谷川先生には感謝感謝感謝です。
もともと読書は好きで様々な本を読んできましたけども、登場人物にこれだけ感情移入したのは初めてなので。こうなれば、最後までこのシリーズの行く末を見守っていきたい。どこまででも付いていきますよ!

はじめましてですよ。

消失ってのはやっぱ深い話なのだなーと思います。
映画見て、家に帰ってから半泣きになりながらまたそう思いました。
なんてなことを突然ぬかし始めるThinksです。

ウチのことはわかってもらえるでしょーか。
ししゃもさんとこからリンクしているページでは、ハルヒ系とは関係して居ないようで
微妙に関係しているページががあったりする、ちょっと前までSS書きだった者です。

いまは書くヒマが無いっちゃ無いってな感じで申し訳ないと居うかそんな感じな状態です。

ウチは基本的に脳天気な性格なので、消失でも読んですぐは
「ながとかわえええええええええ!!」
ってのが感想だったりしたわけですが、
読めば読む度にわだかまりが残るわ、なんだか可哀想になってくるわで。
サムデイの最初の感想は、なんだか良く分からない、だったりするウチは、
すぐにはその話を理解できないようで。

ウチは消失を、ハルヒを選ばざるをえない事に気がついたキョンが、やっぱりハルヒを選ぶ話、
だと思ってます。今でも。
ヒロイン選択、今後の方針を決めてしまう「選択肢」だと。

かとおもえばあんな場面においても、優柔不断と言おうか恋愛対象だと思っていないと言おうか、
ともかくおまえがわかっていないのはそこなんだよ!だがそれが良い。みたいな。
映画には本編の方にもなかった可能性を演出した場面がぎょーさんあったと思います。
優しい忘却の歌詞なんかはほんとそれなんですよねー。
もともとそんな話だったのかー?と、
思い返してみてもそう凝り固まった頭はそうは思えないんですよねー。

っと、言うか。ウチが消失読んだ時点で長門さんにすっ転んだ理由って、
「キョンのものでなくなった」からじゃないのか?
とかね。けっこーに考えたですよ。バカはバカなりに。

いくら考えてても結論らしきモノを出せそうにないので、
ウチの「劇場版涼宮ハルヒの消失」の感想は、
「半分位吐息だけで、消失長門さんをあそこまで演じるみのりんはすごい」
と言うところで落ち着きました。(そっちかよ)

あと、メガネはあった方が良い。(きっぱり)

No title

>Thinks様
はじめまして。このような辺境の地へようこそですw
もちろん存じておりますよ。というか、SS書きの端くれとして知らないわけがない大先輩というか。

消失に対する第一印象は何だっただろう。
消失以前の私はキョン同様、長門を「頼れる宇宙人」としか見ていなかったと思います(発刊順に読んだので、射手座やエンドレスエイトが未読だったというのもあります)。
消失長門が可愛いと思ったのは勿論なのですが、長門さんが人並み以上に悩むキャラクターで、ああいう世界を望むまでに追い詰められていたのかという衝撃の方が強かったですね。
物凄く単純化してしまえば、ギャップ萌えの一種なのでしょう。

私の消失という作品に対する考察はこの記事ですとか先の感想記事に書いたとおりです。
ですが同時に、Thinksさんの仰る「ハルヒを選んだ」「ヒロイン選択である」という考え方、涼宮ハルヒが選ばれる存在で、長門有希が選ばれない存在という今後の方針を示した作品が消失であるという見方は、とても自然なものであるとも思います。

それを考えるたびにこう鬱っぽくなってしまい、それをどうにか払拭するために、ああだこうだ考えて自分なりの消失像を作り上げているという面があります。
なので、私の感想や考察は結論ありきな部分があって、長門さんを選ばれない存在にしたくない、という思いが先に立っていることは否定出来ません。
(自分の考察で無理矢理納得している、というわけではないですが)
それでもやっぱり、長門さんを孤独なままにはさせたくないので、こういう考察やらSSやら書いてるんでしょう。うん。
原作の先が出てくれれば、どっちに転んでもすっきりは出来るのでしょうけれども…

Thinksさんは眼鏡派でしたか。
自分は…甲乙つけがたいですな。ON・OFF機能が欲しいくらいですw

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プロフィール

Author:ながといっく
長門スキーなSS書き。
最近は忙しくてあまり書けていない(´・ω・`)

連絡先はこちら。
nagatoeic●hotmail.co.jp
(●を@に変えてくださいませ)

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